わたくし

ASDとADHDを持っています。1日のことをひたすら書いてますが、基本雑記ブログです。

鬱的思考が増大してきたから書き殴った

なんか今日はブログ作成にいろいろ手こずってしまい結局最終的には0時過ぎに投稿したものの、自分は注意欠陥すぎるので投稿した瞬間に間違いや言い足りないところ、意味不明なところなどを見つけて直してまた投稿、そしてまた投稿した瞬間に何かを見つけ直して投稿、そしてまた何かを見つけ…ということを繰り返し、結局2:40くらいまでブログの直しをしていた。しかもこんだけこだわったってまだおかしいとこあるんだからね。それが注意欠陥というものだ。

 

何もしてない人の1日を、何をそんなに超正確に書く必要があるのか、ちょっと間違ってても意味不明でも個人・素人のブログなんだからそんな究極にこだわらなくてもよさそうなものだし、なぜ自分がこんなにブログに対してここ2週間くらい全勢力を捧げているのか。我ながら引く。

 

せっかく療養中(抑うつ悪化のため)なんだからそんな、自己分析()とかしてないで楽しくドラマとか映画とか観ればいいのに、療養予定1ヶ月の半分をブログに捧げている。療養になってない。呆れた。

 

もう2:44だし、もう何十回もブログ直して疲れた。しかし推しカプ小説を最低でも1作品は読み、幸せな気持ちにならないと寝たくない。私はもう最近いろいろやさぐれることがあるが、推しカプと推しグルが幸せな日々を過ごしているならそれだけでいい気がする。だから推しカプが今日も幸せなのか確認しなければならない。

 

…と思ってちょっと読んでたけど、今個人的にある人のしんどい問題がありそれが急に頭に襲ってきて小説読んでる余裕がなくなって今すぐ死にたくなってきたからもう寝ることにする。

 

とりあえず推しカプが幸せな夕飯食べてるとこまで読んだ。推しカプは今日も幸せ。よかったな。一方自分は今すぐ死にたくなったのでもう何もかも強制終了しなければならない。

 

さっきから小林武史の「Traveling bus〜シフクノオトツアー〜」を何時間もエンドレス聴取してるけどほんとに好きだな。ファンの中で、この曲を葬式に流してほしいと言ってる人も見つけたが、納得だ。

 

これはMr.Childrenの「Mr.Children Tour 2004 シフクノオト」のオープニングで流れたやつなのだ。このままこの曲聴きながら寝ようと思う。(3:08) 明日も生きなければならないことを思うと涙が出てきた。

 

ちなみに私は葬式で曲なんか流してほしくないし、葬式はするなと思う。よく、葬式しない方が楽と思いきや、結局葬式しなかったら親戚知人友人が次々と家に訪れてきて面倒だから、葬式することによってこれらの諸連絡とか一気に済ませるのが一番なんだとか聞くが、私には知人・友人ゼロだし、親戚も全員老人だしもう何十年も会ってないからいちいち訪ねてきたりしないしどうでもいい。

 

死んだら粛々とそのまま火葬場持ってって焼いてもらって、そして灰は本当はゴミ箱とかに捨ててそのまま家庭ゴミで収集してほしい。しかしそれは違法らしいな。

 

結局灰だとしても処分できず、この世に物体として残ってしまうっていうのがもうその時点で絶望しかない。結局存在してしまうのかよと思って。

 

アメリカで、なんか死体を液体に浸けて溶かす方法があるとかいうニュースを聞いたことがあるが、それがいいよ。もう跡形もなくなりたい。

 

…とか思ってんだが、あまりにも某さんのことで辛すぎるので、推しグルのバラード曲を聴かないと寝れないと思った。しかし鬱すぎてタイトルすら思い出せない。ショックを受けた。大好きな曲なのに。いっつも聴いてんのに。アルバムから辿ってようやく曲を見つけたわけだが自分の頭どうなってんだ。もう本当に終わりなのかも知れない。

 

だいたい、赤の他人のことで今すぐ死にたくなるとか、自分の人生がないからだ。しかし自分の人生なんて10年前に父親から殺されて終わった。実質死んでんだから死にたくなるっていうのは当然のことだ。体だけが何故か生きてんだからそんなものとっとと体も死なせたいだろ。

 

とか、どんどん鬱的思考になってきている。このバラードは推しの歌声がとても効果的で本当に素敵な曲なんだよ。推しがメンバーに入ってくれて本当によかった。歌に深みと優しさが増す。推しの歌声は私にとって世界一だし、推しは私にとっては世界一のボーカリストだよ。

 

そして推しの歌声を聴いていると、今までアーティストになることを目指して、でもなかなか上手くいかなくて、でも日々頑張って、そんな生活しててどんな気持ちでいたのかとか考えてしまい、泣けてきてしょうがないな。

 

推しの素人時代の動画、確かに歌うめえ〜ってはなるのだが、何だか夢に向かってもがいてる人の寂しさも感じられ、少し辛い気持ちにもなる。

 

あとこの推しグルのバラード曲については、個人的には夢のために人生全部賭けた人たちからこのような歌詞のことを歌われるとなんか、救われるな。希望がある。

 

だから今は曲に意識を集中させればいいのか。それにそんな夢に人生賭けた人たちが何も怖くないよとか一緒に行こうよみたいなこと言ってくれるわけだから。そんなの元気出るしかないだろ。本当に救われる。

 

前、ある心理学系ツイッタラーが「救われる」とかいう表現はどのような理由があろうとも危ないとか言ってたが、危なくてもいいよもう別に、という気持ちだ。

 

ちなみにその人のことは、Twitterでグレタ・トゥーンベリさんは大人にコントロールされてるとか、ASDなんだから暴走してるから大人が守ってやんなきゃいけないとか児童虐待だとか言ってたの無理すぎてブロックしてしまった。

 

確かに未成年だし大人が守るべき部分はあるが、まるでASD者は自分についての意思決定が全くできないみたいな言い草だな。グレタさんの特性を支援者がサポートしながら、グレタさんがやりたいことができるようにすればいいじゃん。

 

守るとかそんなんは支援者の仕事じゃん。"大人"の仕事じゃないじゃん。ASD者の支援とか何もわかってない素人から言われたくない。心理学系クラスタASDとかASD支援とかの知識ないのに首突っ込む人結構いて無理すぎだったからグレタさんの話でTwitterが地獄だったときに心理学系クラスタのリスト消した。

 

ちなみに、定型と思われる人がグレタさんに対して最悪なリアクションしてるの見て衝撃受けてる優しい定型と思われる人たちいたけど、あんなの日常すぎて何とも思わなかったし、むしろあんなので衝撃受けられるなんて定型はいいですね平和な毎日で、なんて当時は思ってしまった。

 

ASD者はいつも、てか子供の頃から死ぬまでずっとあんなこと言われてるよ。あんなことって、もう嫌すぎて具体的なこと言いたくないけど。

 

とか考えると、ASD者である私は苦労してる!可哀想!とか自分のこと言う資格があるのかな。と思ってしまう。

 

少なくとも、ASD者に対する暴言を見て「こんなこと言われるなんて…」とか言葉を失ってるような人たちよりは辛い思いしてるよな。

 

とか言うのも、自己憐憫なのかな。しかし、なんか障害者の自己憐憫って判断基準が厳しすぎないか。

 

本当に障害のせいで可哀想な目に遭ってしまったから自分のこと可哀想と思っても、それも自己憐憫と判定される気がするんだけど、それは被害妄想なのかな。わかんない。

 

ところでさっきの、考えるだけで今すぐ死にたくなるほどの人のことだけど、あんな人もう放っておこうぜ。放っておけない気持ちはわかるけど。

 

オタ活に集中しろ。推しは聖人だから一生応援すれば何も怯えずに安らかな生活が送れるぞ。辛いときは推しからのメールを読んで落ち着け。とかいろいろ思ってみても、鬱的思考で頭がいっぱいになる。

 

逆に、無理矢理推しカプ小説読んだ方がいいのか。頭に入ってこなくても。いやそれは無理。もう無理矢理寝る。(3:38)

 

とか思うんだが、全く寝れない。(4:22) まあ何故か夜まで4時間寝てしまったからな。寝れないのはそのせいだと思うのが妥当である。

 

しかしこのまま音楽聴いて目つぶってても鬱がが増大してくるだけな気もする。

 

だからいっそのこと、レンタル中のタイBL「2gether」を見るか。その方がいいかもな。ただただハッピーで余計なこと考えずに済むし。

 

そうしてみる。

 

…と思っていたんだが、鬱に支配されて何もできなくなった(4:44)。4:44なんて、嘘じゃないんだ。本当に今4:44だから。やっぱ今すぐ死ぬべきなのか。そうなのかもしれない。